エンプティ・エンプティ

 

 一月と一日前 壁の前にて

 

 俺たちに先は無い。
 今更再確認するでもなく、生まれた時から分かっていたことだ。
 だが俺は遥か高くまでそびえる灰色の壁を目の前にし、まざまざとそれを思い知らされていた。
「こんなところまでしか・・・俺たちの世界は無かったのか」
 この狭い箱庭・・・隔離区域から俺たちは出ることも叶わず、空しく短い人生を終えるしか無いのか。照り返しに煌く壁を見上げ、俺は一人呟いた。

 

 施設の大人たちの話によると人間はヴァイオテクノロジー、とか言う奴を使い俺たちをこんな体にしたらしい。こんな体。そう言うのも俺たちの体には、殆ど生命を支えうる組織がないからだ。俺たちは生きた部品を提供させられるためだけに生まれた、クローンという存在なのだとか。
いや、だった、と言うのが正確だろう。今の俺たちは部品を取り出した後の、空き箱に過ぎないのだから。
 今が西暦何年なのか知ったことではない。だが『人間』が自分たちを更に優れた種族にするため、俺たちから搾取し始めたのはそう遠い過去のことではないはずだ。
 時代遅れの無機機械で体の欠損を補ってはいるものの、俺たち『空っぽ』は極端に寿命が短い。
 そんなに昔のことならば、話がこれほどはっきりと伝わってはいない、と言うことだ。

 

「お、ヒューズ、こんな所で何やってんだ」
「ん・・・ガラン」
 居住区の方から走ってきたのは施設の『職員』であり、俺たちと同じ『空っぽ』であるガランという女だった。職員と言っても俺とそう年齢が変わるわけではない。平均寿命二十年足らずの俺たちでは歳の差は出来にくい。それに俺たちに年齢とは余り意味が無い。俺たちは研究所で目的とする年齢まで培養される。例えば十歳の子供のドナーとして生み出されるのは十歳の『空っぽ』だ。半分以上機械の体はそれから成長しない。
 ただ彼女は人の世話を焼くのが好きらしく、職員として、ここに来る新入りたち・・・図体はともかく赤ん坊同然の連中の世話をしていると言うに過ぎない。もっとも、生来のリーダーシップのため職員というより所長、といった感じだが。

「『灰色の壁』か。これを見るの、初めてなのか」
 どことなく男っぽい口調の彼女に俺は、ああ、と答えた。そう言えば、まともに話すのは初めてかも知れない。
「それにしても『灰色の壁』っていうのか。まんまだな」
「まあね。どうせすぐ死んじまうあたしたちなんだ。立派な名前を考えても仕方ないだろ」
「・・・違いない」
 俺は苦笑しようとして失敗し、もう一度壁を眺めた。

「この向こうには何があるんだろうな・・・」
 ガランがこの独り言に答えることは無かった。

 

 

 一月前 再び壁の前にて

 

 翌日も何故か俺は『灰色の壁』に足を向けた。
 一人になりたかったからだ。だがそれだけとも思えなかった。

 そこには先客がいた。
「ガラン」
「ヒューズか」
「何してるんだ、こんな所で」
 俺は昨日言われた科白を返した。彼女は答えず、壁から視線を外しもしなかった。

「あたしらは、何で捨てられたんだろうな」
「何言ってんだ」
 道具として肉体だけが必要だったからだ。そんな分かりきったことを聞く、ガランの様子は何処かおかしかった。

「何であたしらは生きてるんだろうな・・・」
「どうしたんだ、ガラン。変な物でも食ったのか」
「・・・昨日また施設に『新入り』が捨てられてきてね」
 突然の話題に俺は面食らった。
「双子だった。片方の子はぎりぎり助かったけど、もう一人の子は・・・。何とか生命維持しようと頑張ったけど。駄目だった。あの子はまだ赤ん坊だった。」
 陰になって彼女の表情は見えない。
「どうしようもなくて。まだ生きてるのに、見ているしかなかった・・・」
「ガラン」
「どうして。どうしてこんな目に合わされるっ」
 鈍い俺は、今になってようやく彼女が泣いてるのかもしれない、と思い当たった。
 参ったな・・・何を言えばいいのか、分からない。只でさえ人と話すのが苦手なのに。
「くそ・・・みっともない所を見せたね。悪い、今日のことは忘れてくれ」
 ガランは壁から顔を離し、居住区の方へと早足で戻って行った。結局俺は一度も彼女の顔を見れなかった。長い黒髪が優しい光の中ふわりと揺れた。

 俺は何をしているんだ、と思った。

 

 

 十一日前 森にて

 

 ある朝、俺は腹が減ったので一人森へ向かった。

俺たちが住む隔離区域には無数の実をつける木が生えている。広大な森からの恵みで俺たちは食っている、と言うわけだ。他の動物を狩ったりと出来ないわけではないが、臓器も殆ど無い俺たちはろくに物を消化出来ない。ここの森の果実だけが唯一人造の胃で栄養を吸収出来る物だった。

 施設で食事を出してくれるのだが、俺はいつも自分で取りに来ていた。
「ん・・・」
 そこで俺は久しぶりにガランと再会した。再会と言っても直に顔を合わせたわけではなく、俺があいつを見掛けただけだが。
 ガランは他数人の仲間と共に食料を集めていた。朝早くにも関わらず、既に結構な量が籠の中にある。
「全く・・・ご苦労なことで」
 俺は口の中で呟くと、そそくさと逃げるようにその場から立ち去った。

 

「何で逃げたんだ」
 俺は適当な数だけ木の実を採って食べながら、一人頭を捻っていた。
 実は生では余り美味くない。正直好きではないのだが、まあ仕方が無い。
 とりあえず答えの出ない疑問は思考の外に追いやり、俺は静かな森を散歩することにした。

 深く生い茂っているくせに、暗さを感じさせることの無い、森。

 一人だだっ広い自然の中を歩いていると、自分をひどくちっぽけな存在に感じる・・・とか古い本で誰かが言っていたか。だが年がら年中自分の虚ろさを実感している俺の場合は、むしろ逆かも知れなかった。
 なんだか森と感覚を共有しているみたいで、ああ、自分もすぐにこの世界と同化するのだろうか、と―――

「・・・ん」
 そうやって馬鹿なことを考えながら歩いていると、俺は妙な物を見つけた。近寄ってよく見てみる。遠くからではよく分からなかったが、物ではなかった。そいつは俺たち『空っぽ』に似ていたが、どこか違った。その違和感の正体に俺が思い当たるより早く、そいつは目を開けた。

「お」
「あ、あなたは・・・」
 見慣れない服装をしたそいつは、女の子の様だった。まだ若い・・・というより幼い印象だ。実際は十五、六歳ぐらいだろうか。
 彼女は俺を見るなり、慌てて体を離そうとした。
 別に拘束する意思も無いのですぐに離れる。
「あなたは・・・どこの派閥の者ですかッ」

「は?派閥だって・・・」
 いきなりの発言に完全に虚を突かれる。相当間抜けな顔をしたに違いない。俺が何のことだか、と言っても彼女は敵意を納めようとしない。どうしたものか・・・俺は途方に暮れてしまった。
「悪いが、何を言ってるんだか理解できない。説明してくれないか」
「何をぬけぬけと・・・私を油断させて捕らえるつもりでしょうッ」
 そんなつもりならとっくに襲い掛かっていると思うが、彼女は俺の話に聞く耳を持とうとしない。

 俺はとりあえず当面の疑問を聞いておくことにした。
「そんなことより、あんたは何者なんだ。どうしてこんな所にいたんだ」
「・・・何を言って・・・」
 そういうと彼女は辺りを軽く見渡した。やたらと警戒していたくせに、隙だらけだ。こいつ、馬鹿なのか。

 それはともかく、周囲に目を走らせた彼女は、ぽかん、とした表情で言った。
「何、ここ・・・」
「森だが」
「モ、リ?」
 なんだか話が噛み合わない。俺はじれったくなってもう一度尋ねた。
「あんた、一体誰なんだ」

 俺は人付き合いも苦手で、施設の連中の名前もろくに覚えていない。だが、顔ならば大した人数ではないこともあって全員覚えている。
 だが俺はこいつの顔は今まで見たことが無かった。
「だ、誰って・・・あなた、私のこと知らないって言う・・・」

 そこまで言って、彼女は突然悲鳴を上げた。

「きゃああッ、あな、あなた、体に変なものが刺さってるわよッ」
「何だって、いつの間に」
 俺は体を捻って自身を見た。不健康な色の人工皮膚。機械から熱を逃がすために空いた穴。所々から覗く、体の平衡を保つためのバランサー。関節の動きを補助するサーボモータ・・・別段変わったことは無い。
「そんなつまらんでまかせ言っても意味無いぞ」
「な・・・何言ってるのよ。見えてないの?」
 彼女が指差す先を追ってみる。それはどうやら俺のバランサーを示しているようだった。
「・・・・・・ふむ」

 

 

 九日前 施設にて

 

「・・・で、どうするんだ」
 森の中で出会った少女は『人間』だった。
 そして俺のような『空っぽ』に会うのは初めてだった。
 当然だろう。俺たちは廃棄処分された身。誰が車を見て、それを作る際に出たくず鉄に思いを馳せるだろう。人間の社会に生きてきた彼女が俺たちのことを知っている道理はない。
関係ないことだが、人間が俺たち『空っぽ』と外見上大して違わないのは意外だった。思っていたよりも俺達は原形をとどめていたらしい。
 とにもかくにも、期せずして彼女を追っているとか言う連中ではないと証明できたわけで。何とか彼女は落ち着いてくれた。もっとも、別のことで落ち着きを失っていたかもしれないが。

 俺は余り話すということが得意ではないため、とりあえず静華を施設へと連れて行くことにした。
 人間を知っている奴も何人かいて、ちょっとした騒ぎになった。人間が俺たちの元へ放ったスパイだとか言い出す奴もいれば、復讐させろ、と暴れだす奴もいた。
ガランが止めてくれなければどうなっていたことか。それにしても彼女に一喝されただけで押し黙ったあいつらは情けない。
ガランは慣れた様子で所々擦りむいた静華の治療をしながら、色々と聞き出した。

彼女は何でも人間たちの有力者の一人娘で、敵対勢力に人質だとかにされそうになって、逃げていたらしい。
よくある、陳腐なことよ、と彼女は言った。自分が狙われるとは思いもしなかったが、と付け加えて。矛盾してるな、と思ったが、人間とはそういうものなのだろうか。
少なくとも俺たちは身内で殺しあったりはしない。いや・・・静華の言によれば狙っているのは身内ではなく『敵』なのか。逃げ出して、あれこれ彷徨っているうちにいつの間にか、あそこに出たらしい。

この話は俺たちを驚愕させた。

もし本当なら、この『隔離区域』から『人間』の世界へ行くことが可能ということになるからだ。

気がかりなのは何故気を失っていたのか、と言うことだった。幾ら考えても推測の域を出ないが、その廃棄物処理用であろう通路からこちらへ繋がる出口は高所にあるのかもしれない。そしてそこから落ちた衝撃で・・・と考えるのが無難だろうか。

 俺はここ二日、静華の様子を見に施設へ足を運んだ。自分が連れ込んだ『人間』だから何となく気になったからだ。
 で、今日俺は彼女のこれからについて尋ねた。
「うん、私ここで働こうかと思うの」
「マジか」
「うん。ガランさんは親切だし、他の職員の方たちも優しいし。世話になりっぱなしじゃ悪いし」
「その・・・『人間』の世界へ帰りたくはないのか」
「・・・もう、何だか疲れちゃったの」
「何に。別に運動もしてないだろ。逃げてきたって言う道を戻るのが疲れるのか?」

 彼女は軽く首を振った。

「ううん、そういうことじゃないの。きっとヒューズには分からないわ。それに・・・ここ、明るくて、好き」
「昼間が無いのか?」
 彼女は、微笑んだだけだった。

 窓からは太陽がはっきりと顔を覗かせていた。

 

 部屋から出ると、ちょうどここの職員とすれ違った。挨拶でもしたものか、と一瞬悩んだが相手はさっさと行ってしまった。
 ここの連中は俺を拒むことはないが決して受け入れてはいない。俺が施設に近寄らなくなったのが先か、連中が俺にそういう態度を取るようになったのが先か。・・・今となってはどうでもいいことだった。

 ところが玄関ホールで俺は呼び止められた。
 振り向くと、そこにいたのは案の定というか、ガランだった。

「何だ」
「あんた、あの娘が言ってること、どう思う」
「本当じゃないのか。嘘を言ってるとも思えなかったし、何よりあの体が証拠だろう」

 そう、治療を通して分かったのだが、彼女の体には、埋め込まれた機械どころか人工皮膚さえも使われていなかった。もっとも、俺は静華が喚いて出て行けとうるさかったのでその間廊下に出ていた。だから実際に『天然』の肌とやらをほとんど見れなかった。残念だ。どうしてあんなに嫌がったんだろう。
 ここに捨てられる俺たちの仲間とは明らかに違う静華は、確かに『人間』だった。

「そうだね。確かにそうだ・・・」
「珍しく歯切れが悪いな。どうかしたのか」
「いや・・・何でもないんだ。悪かったね、呼び止めたりして」
「・・・?」
 俺は首を傾げながら施設を後にした。

 

 

 一週間前 居住区にて

 

 その日の朝、俺は一応あてがってもらっている自分の部屋でぼう、としていた。静華に会いに行くにも、別に話すことがあるわけでもなし。沈黙は苦手だ。それを取り繕うのも。
 それをするぐらいなら最初から一人でいい。その方が気楽だ。

 そうして俺が自堕落に寝そべったまま適当に取りだめした木の実を頬張っていると、何やら外が騒がしい。

「何だって、ガランさんが」
「何処にもいないんだ、探してくれっ」
 ・・・という会話が聞こえてきた。
ガランがいない・・・どういうことだ。
 人一倍責任感が強そうな彼女が突然ふらりと消えるなんて信じられなかった。とは言え、他人のことだ。彼女が本当はどういう人物なのか、俺に分かるはずもない。大して親しかったわけでもないし。
 しかしそういえば、一昨日の彼女はどこかおかしかった気がする。
「・・・静華か」
 あの時彼女は静華のことを聞いていた。何も関係が無いかも知れない。あるかも知れない。
 俺は気になって部屋から飛び出した。

居住区の辺りにも職員の連中が大勢いた。それぞれ幾つかのグループとなって行動していた。
 ガランの元、一枚岩かと思っていたのだが実際はそうでもなかったらしい。結局何処にでも好きや嫌いはあるのだな。
 もっとも、一人で行動しているのは俺ぐらいなものだったが。
 まあどうでもいい。早く施設の方へ行かないと。

 

 

 同日 施設にて

 

 主―――少なくとも俺はガランをそう見なしていた―――のいない施設はいやに寂しく感じられた。まるで無人のような。職員が全員出て行っているわけでも無いのだが。
 俺はそんな中まっすぐに静華の下へと向かった。

「入るぞ」
 急いでいたこともあり、俺は返事を待たずに戸を開いた。
 静華は無言で、ベッドに腰掛けていた。俯いたままで、顔をこちらへ向けもしない。
「おい、静華。寝てるのか」
 その言葉に、はっ、としたかのように顔を上げる静華。
「な、何。どうしたの、ヒューズ」
「ガランが居なくなった。何でも昨日一日姿が見えず、今日になっても戻らないらしい。・・・俺は一昨日お前と別れた後、たまたま彼女に会ったんだが」
「・・・うん」
「その時ガランはお前のことを聞いてきた。で、この失踪だ。関係無いのかも知れないが、気になる。何か知らないか、静華」
 静華は暫く頭を捻った。
「ええと、そう言えば・・・」
「何かあるのか」
「・・・私が通ってきた道のこと、詳しく教えて欲しいって。一昨日、あなたが私に会いに来る前に。あと、私の暮らしていた街の様子も。色々と訊かれたけど・・・」
「・・・そうか。まさかガランの奴・・・」
 おれは続いて食料庫へ向かった。静華もついてきた。
「う〜ん、おかしいな・・・」
 食料庫では白衣を着た職員がノートと倉庫内を見比べていた。彼によると保存食として加工した果実が記録よりも少ないのだという。
「やっぱりか・・・」

 ガランは幾ら探しても見つかりっこなかったのだ。ここでは。

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